* 寂しいと思う原因は何か

* 寂しいと思う原因は何か
最近楽しいことが過ぎると猛烈に寂しさがこみ上げてくるようになった。
加齢のせいでもないとは言い切れないが,以前のように強がりでそれを押し殺すこともすることが難しいと感じることもしばしばである。
とはいえ,一生一人で生きていくという決意をしている自分にとってはこのような落ち込む時間は無駄な時間の最たるものであり,
早いうちに殺さないと膨大な時間がそれへの逃避に浪費する可能性がある。故に一度立ち止まって寂しさをどのような場面で感じるかを考えることにより
対象方法を見出すこととしたい。

** 自分だけ蚊帳の外
寂しさを感じる局面の最高にして最大の場面は,盛り上がっているのにもかかわらず,自分だけ蚊帳の外と言う局面である。
これはもう避けることのできない事故のようなものであるが,そのくせダメージも大きいのでなかなかにクセモノである。
対処方法は,「あきらめる」「その場から立ち去る」ということであるが,卑劣な市民であると同時に善良な組織人たる私にははなはだ難しいことも確かである。
ここはもう心を鬼にして仏頂面でしのぐしかない。

** 楽しいことが終わって一人になった時
楽しいことが終わって,風呂も入りあとはもうねるだけ,というときも感じる。これは楽しかったものに対する反動のようなものであるので対処することは
「楽しいことはやらない」というものがあるのだが,一人で生きていくという決意は自分が楽しく生きるための手段の一つであり,それを行うにあたり
楽しいことを捨てるというのは本末転倒である。なので,災害救助でも行われているように「ゆっくり非日常,極限状態から離れていくというのが重要であるように思われる。
何事も急にやめたりはじめたりするのはダメージが大きいので,ゆっくりゆっくりダウンをするように手放していくことが重要であろう。

** 友達がいないことによるもの
これは一生治らないし,無理に作ろうと頑張っても余計虚しさと惨めさと寂しさが募るばかりであるので,無理に作ろうとしないというのが重要であろう。
とはいえそれができたら苦労しない。

以上のことを考えるとなかなかにこの感情と付き合うのは難しい。殺しきれないにせよ対処する方法はあるはずなのであるが,それを
なんとかして動じないようになるにはまだまだ精進が足りないと言わざるを得ない。ままならぬ自らの心情である。
だが,こうやって試行錯誤できる幸せは確かにあるので,生きることはまだまだ楽しい。